ご無沙汰してます。秋鐘です(o^^o)ノ🔔
最近ようやく日本でもgiftedの存在が認識されてきました。高IQは数値で測定できますが芸術など数値化が難しい分野は未だに取りこぼされています。
明らかに普通じゃない息子を育てる中でgiftedについて学び、giftedの親もまたgiftedの可能性が高いと知りました。
おそらく自分は数値化出来ない分野のgiftedなんだと思います。
先日自分の幼児期からのストーリーがエンディングを迎えたため、人生を振り返る記事を残すことにしました。
数値化が難しい推定gifted児をどう育て、どう導いて行けばいいのか、悩んでいる御両親の何かのヒントになれば幸いと思い執筆します。
鼻についてしまったらご容赦下さい:;(∩´﹏`∩);:
冷ややかな目線でご覧下さい
ダイジェスト
- 美術系で賞を取りまくった幼少期
- 生きる伝説との出会い
- 自分の価値を証明した日
- 次の世代に繋ぐ思い
美術系で賞を取りまくった幼少期
推定gifted児がどんなことを考えながら成長していくのか頭の中をのぞいてみましょう。
失敗作が賞を取る。常に自分も周囲も何が凄いのか理解出来ない。そんな感覚でした。
保育園時代
遠足の思い出を絵に描いたのですが、自分は太陽をよく観察していたため、光の散乱現象によって太陽が青く見えたことを絵にしました。
みんなが赤で表現する中、青い太陽を描いた自分は笑い者になりました。
自分にとって当たり前のことが世界にとっては当たり前じゃないと困惑する体験でした。
ある日、保育士さんがコピー用紙を4つ切りして園児達に配りました。文集の挿絵に応募するから夢のある絵を描いてみましょうと言われました。
飛行機の窓から体を乗り出してピースしてる絵を描きたかったけど技量が足りず普通に窓から外を眺めてるつまらない絵になってしまいました。
この絵は文集の挿絵に選ばれて賞状をもらいました。
小学生時代
小2の夏休みに描いたキリンの絵がコンクールで金賞を受賞しました。模様は細かく描けたけど、技量が足りないためポーズもなく横からの正射影みたいなつまらない絵でした。
小3の子供会で参加した写生大会の絵が銀賞を受賞しました。水の輝きと透明感は満足いくものでしたが遠景の山がちぐはぐしていました。
小5の授業で描いた風景画が金賞を受賞しました。校庭の一角にあった楓の木を描いて幹は上手く描けたけど技量が足りず葉の重なりを上手く処理できませんでした。
このように、常に失敗作に無念を抱き、その失敗作が高く評価されることに困惑していました。
小6の夏休みに描いた動物の絵がコンクールで金賞を受賞しました。動物園に行って描くような特別なものではなく、飼っていた犬と鶏が遊んでいる何気ない風景を描きました。毛の質感、躍動感、構図、背景、全てが満足いくものでした。
「何を描くか」ではなく「何を描きたかったのか」が大事で、自分が好きなものをただ好きなように描けば良いんだと『自由』を感じた出来事でした。
中学生時代
中学2年まで美術の先生が入院してしまい非常勤の先生に習いましたが、ずっと悪い点をつけられていました。
中学3年で美術の先生が代わってから、
龍の彫刻が金賞を受賞。同時に選択授業で描いていた絵画の模写も同じ展覧会で金賞を受賞。ポスターが白バラ賞を受賞して新聞に掲載。
トリプル受賞で学校全体が驚いていました。「今まで目立たなかったのに急に何が起こったの!?どれだけ凄い事なのか分かってるの!?」
丹精込めて作った作品が正当に評価されただけなので驚かなかったし特に嬉しいとも思いませんでした。むしろ今まで追い詰めてきた非常勤講師に恨みを覚えました。
進路を間違えた高校時代
ここまでを振り返れば確実に美大を目指すべきだったと思いますが、進学校に進みある事件が起きます。
またもや美術の先生が入院して、代理であの非常勤講師が現れました。
また悪い点を付けられて追い詰められました。高評価の他者の作品はどう見ても駄作です。
作品の価値を判断するのは個人の主観であるため、絶対的な価値というものはなく、権力を持っている人に価値を認められなかったらそれでおしまい。
そう考えて怖くなり、美術の道から逃げ出しました。
『権力者』と『価値』は人生のテーマになっていきます。
氷河期時代
美術の道は一部の天才しか生き残れない不可能な道という親の教育のもと、無難に理系の大学に進みました。(得意科目は国語でした)
就職活動は全落ち。就職を諦めました。
ただ、就職活動中にコンピュータを使ったデザイン関係の仕事が結構あることに気付き、理系×美術の道ならチャンスがあるのでは?と考え専門学校に行ってやり直す事にしました。
職人気質な親でしたが、普通の道が閉ざされているなら才能を活かす道を探した方が賢明かもしれないと考え直し専門学校の学費を工面してくれました。
(最期は子供に良い道を残してあげられたことを満足して自慢と言いながら他界しました)
生きる伝説との出会い
インターン時代
専門学校では優等生でコンテストは毎回入賞。インターンシップにエントリーして有名企業に受け入れてもらいました。
業界で『生きる伝説』『神』と畏れ敬われていたT氏が面接官でした。そうとは知らず自分が熱弁した志望動機が全てT氏の手掛けた反省点やチャレンジ部分だったので、運良く採用してくれたようでした。
インターンシップ中には上司から『センスが無い』というフィードバックを受け続け、終業後はネットカフェに泊まって『センスが良い』とされる作品を沢山見続けました。
睡眠を取らなかった結果、あっという間に廃人になり、結果次第で本採用に繋がるとされていたのに3ヶ月で終了してしまいました。
発達特性から、必要以上に精神的な負荷が掛かったり、目の前の事に集中しすぎて先の事や周囲が見えなくなってしまう傾向が起こりやすいので、プレッシャーに晒されない自由度が高い環境の方が能力を発揮しやすいのかなと振り返って思います。
生きる伝説
インターン最後の面談でT氏が会いに来てくれ、少しだけお話をしてくれました。
「これからどうするつもり?」の問いに「自分にはセンスが無いので沢山いろいろな作品を見て沢山センスを盗んで出直します。」と答えたところ…
「センスはあるよ。」と言い切ってくれました。このたった一言に号泣して空っぽで真っ白だった頭の中が急に色彩を帯びていく感覚がありました。
「センスは誰にも盗めないから。盗むんじゃなくて磨くことを考えて。」
そしてこう付け加えられました。
「幼少期の体験がセンスを形成するから。まずは自分のセンスが何か見つけて、見つけたら磨いて輝かせていって。」
全員が認めてくれなかったのにこの人だけは認めてくれた。T氏が言うことが正しいことを証明したい。証明するには実績を作るしかない。実績を作ったらもう一度会ってこの日のお礼を言おう。
これが強い動機となり再起出来ました。
助言に従いアルバイトスタート
インターンの時、現場のディレクターから最後のアドバイスをもらいました。
「君の場合は実力以前にまず働き方を学ぶことが重要だから、とにかくどんな職場や待遇でも良いから働き方を勉強しなさい。出来れば大手の方がゆっくり覚えられるから良いと思う。」
この助言に従って、大手のアルバイト募集にエントリーしました。
大手とは言っても小さな部署でベンチャーのような職場でした。
発達特性で上手く働けなかったけど、助言の通り優しい環境で大失敗もフォローしてもらえ、ゆっくりと働き方を覚えていくことができました。
超氷河期時代の闇
大卒で専門学校まで行って都内時給750円のアルバイトです。
マクドナルドの時給1000円を睨み付けながらハンバーガーを噛み締めていました。
仕事の仕方はゆっくり慣れていける反面、いつまで経っても機械的な雑用を繰り返すだけで技術は身に付きません。
業績は酷くて2年周期で社長がクビになるような有様で、いつ倒産してもおかしくない状況でした。
副部長からは「アルバイトは一生アルバイトのままで未来が無いから、やり直せるうちに転職した方が良い。」と言われ、
マネージャーからは「新入社員はダイヤモンドの原石でアルバイトはふるいからこぼれ落ちた砂粒だ。運良く砂金が混ざっている可能性に期待したい。」と言われ、
だいぶ精神的にくるものがありました。
そこに独立した先輩経由で某企業のSさんからスカウトされ、「うちで働けば最低限技術は身につく。技術さえあればどこにでも転職できる。今のまま若い貴重な時間を浪費するのは良く無い。」とお誘い頂き真剣に転職を考えました。
いろいろ考えた結果、踏み止まることにしました。
担当していたプロジェクトがシリーズに幕を閉じようとしていたため、働き方を教えてくれたプロジェクトの最期を看取り、支えてくれたファンのために自分の時間を使おうと決意しました。
プロジェクトは多くのファンに愛されたまま最期のイベントで涙と感動のフィナーレを迎え、自分は仕事が無くなりました。
数年間も『アルバイト』の職歴では転職もままなりませんが、自分の価値を認めてくれたファンの方達に報いるため、『一所懸命』に尽くせたことには満足でした。
自分の価値を証明した日
地頭の良い人達
構造改革で部署の統合が行われ、全社の巨額な赤字を全て補填して黒字化してしまうような凄いプロジェクトと合流し、手伝うことになりました。周囲は東大卒など高学歴ばかりでそれまでの職場とは全く空気が違いました。
相変わらず雑用ではあったけれど、地頭の良い人達と一緒に仕事した事で、スマートな働き方や考え方が体感出来たことが財産になりました。
目の前の問題を解決するために根本的な原因を考える。常識を疑い本当に大切にすべき点を考え抜く。優先順位を明確にして切れる部分はちゃんと切り捨てる。感情を揺さぶるロジックを緻密に計算する。そういう天地がひっくり返るような思考を息をするように自然に行っていました。
プロジェクトが終わる頃、地頭の良い人達が推薦してくれたことで、→契約社員→正社員とトントン拍子に昇進させてもらえました。
無茶な要求をする代わり、末端まで正当に評価し、賃金と待遇で報いる。お金に対する価値観や考え方も天才的でした。
『御恩と奉公の使従関係』を感じ感動しました。
起死回生
自分が天才達と仕事をしている間、涙と感動のフィナーレを迎えた例のコンテンツの続編が発売されました。
待ち望んでいるファンは多く、出せばヒット間違い無しの状況でした。会社としても大きく投資します。
これが大失敗してまさにオワコンとなりました。長年続いたプロジェクトもここまで。
自分が立て直しという名目の後始末を任され「ファンが納得する形で終わらせたい」というミッションでした。
自分のセンスで作り直して行ったところ次第にファンが戻って来てくれ、奇跡の大復活を遂げ、このシリーズは後に、名だたる競合を全て抑えて業界全体で年間売り上げ1位を獲得することになります。
再び地頭の良い人達と共に
天才達と作ったコンテンツの新作を計画していると聞き、メンバーに立候補しました。
今度はコアメンバーとして、
世界最先端の論文を技術として取り込み、まだ世の中に存在しない製品の発売時期とスペックを見越して計画し、時代を10年先取りした最新作を発売しました。
発売から5年経った今でも色褪せず独走状態で世界最先端、業界1位を走り続けています。
違う業界に異動して大成功
環境を変えて新しいチャレンジがしたいと相談し、より大きなビジネス業界に異動しました。
ここでは末端から始まったものの、次第に重要な役を任されるようになり、自分が担当した所が軒並み「怖い」「笑える」「泣いた」と感情を揺さぶり非の打ち所がない『神コンテンツ』と称賛され関連コンテンツも相互に作用して全体として歴史的な大ヒットを記録しました。
理系大学で学んだデータのまとめ方や考察の仕方、発達特性のマイナス面を補う働き方、天才達から学んだロジック、gifted特性、全てが繋がりついに世界中が自分の価値を証明してくれました。
次の世代に繋ぐ思い
生きる伝説に再会を果たす
T氏が言うことが正しいことを証明したい。証明するには実績を作るしかない。実績を作ったらもう一度会ってこの日のお礼を言おう。
20年掛かりましたが、実績が作れました。
3つの業界で神コンテンツを創出し、関わったプロジェクト全てが社内外で数々の賞を受賞しました。会社自体も、とあるランキングで1位を獲得し、倒産しかけていたとは思えない勢いです。
そんな時、たまたまT氏と会えるクリエイター交流会が開催され参加しました。
当然T氏は何も覚えていませんでしたが、あの時が無ければ今は無いという20年間の感謝の想いを伝えて握手してもらいました。
この瞬間、自分のストーリーは完結しました。
転職しなかった決断の答え合わせ
某企業のSさんからスカウトされ、「うちで働けば最低限技術は身につく。技術さえあればどこにでも転職できる。今のまま若い貴重な時間を浪費するのは良く無い。」とお誘い頂き真剣に転職を考えました。
会場で偶然Sさんにも再会し、あの時断ったことを謝りました。
「全然気にしてないよ!断って本当に良かったと思う。あの後会社が傾いて数ヶ月給料未払いのまま倒産になって大変だったから。」と言われてここでも人生の答え合わせが出来ました。
危なかったというより、もし自分がそちらのルートに行ったら今の会社がそうなっていたと思いました。
とはいえ、転職していたら確かに技術力は今より高みに達していたと思いますが、代わりに天才達と出会わずT氏に胸を張って会えるような実績は作れなかった気がします。
次の世代との交流
交流会はいつしか若い世代の悩み相談になり、自分語りを聞いてもらいながら、悩みを解決するヒントを伝えました。
- センスは盗むものじゃなく磨くもの。
- ご恩に報いるよう最善を尽くしていれば誰かが必ず引き上げてくれる。
- 結果が出るまで20年掛かるものだから焦らず出来る事を一所懸命に。
- 権力者の評価は絶対では無いので重く受け止め無くて良い。信頼出来る人とファンの声に集中するべき。
一度廃人になった身として、悩んでいる若者に少しでも希望と活力を与えられたらと思いました。
giftedの失敗について
発達特性による様々なペナルティと大失敗について、相当にいろいろやらかしました( ´_ゝ`)
どんなにやらかしてしまっても、必ずそれ以上のリターンがあります。
大丈夫です。gifted児は自分でしっかり反省し、自分で道を切り拓いて行きます。
そして、どんなにやらかしても20年後に覚えている人なんて誰もいません。誰も思い出せない事に怒っても悲しんでも大した意味はないんです。
おおらかに穏やかに過ごせるように調整するのが大事だと思います。
技能や技術以前に働き方を覚える事が重要で、普通の人と同じレベルで普通に働けるようになるには何倍も時間が掛かります。
生存戦略としてはなるべく早く社会に送り出してあげて、働き方を学習させることが良いと考えています。若ければ若いほど許されるし、何度でもやり直しできます。
たくさん失敗しながらも、自分で最適解を見つけて行くので心配は無用です。
大学受験や資格の勉強は働きながらでも可能だから優先度は低いし、一生涯勉強は続くので短期的に消耗させるのは得策ではありません。
プレッシャーやストレスが掛からない環境でゆっくり自由に高集中に長期的に学習していくのがgifted児にとって成功の道なのかなと思います。
n=1の体験と思考からこのような教育方針となり、おおらかな気持ちで推定giftedの息子を育てています。
※テストは毎回100点なので学校の宿題なんかやらなくていいと言ってるのに、ストレスで痙攣して泡を吹いて床を転げて大泣きしながら30分掛けてようやく漢字のなぞり書きを6字達成する8歳息子氏( ;∀;)毎日毎日大変過ぎる…
毎日宿題に悩まされ続けるSweet☆Home!
それでは次回もお楽しみに〜╰(*´︶`*)╯♡