こんにちは。秋鐘です(^^)ノ🔔
若い頃は、同じ人間なんだから人一倍努力すれば何だって可能だと考えていました。
運動が苦手だったので、少し身体を強くしたいと思って中学校でテニス部に入部しました。たまたま強豪校だったため土日や長期休暇は全て部活に費やされ、朝練から夜練までずっと走り回ってました。手の皮は霜焼けでずる向け、昼休みはコート整備。
他校のエースに勝てた事もあるからそれなりに楽しいと思えることもありましたが、疲労が蓄積していきどんどん身体が硬くなって中盤以降身体が思うように動かなくなっていき落ちこぼれていきました。
最後は部活に参加すると下痢になることが続き、貧血になり、朝目眩で倒れてから息切れしながら登校するのが日常になりました。命の危険があったと思います。
中学校を卒業し、開放感でいっぱいでした。
高校は絶対にテニスをやらないと思ってましたが、部活見学に行ったとき、新しい環境で何だかウズウズして体験入部しちゃいました。
体験入部では身体が伸び伸び動いて凄く気持ち良くて先輩達を倒して華々しい高校デビューをしてしまいました…
その後、日々の練習を重ねるうちにトラウマが蘇ってきてまた身体が動かなくなっていきました。
貧血になり、走ると腰に激痛が走り、上を見上げると目眩がしてそのまま倒れてしまうようになりました。流石にもう無理だと思って辞めました。
この経験からその後の人生で重要になる2つの教訓を得ました。
1つは『方法を間違えた努力は能力を下げる』
もう1つは『自由は無限の可能性を引き出す』
方法を間違えた努力は能力を下げる
苦手を克服するために努力することは尊いし必要ですが、『過度な強制労働』になってしまうと著しく能力が下がっていきます。
身体は動かなくなるし、ストレスは身体に深刻な影響をもたらします。
『強制労働』になってしまったらもはや『努力』では無くなります。命を守るため『防衛本能』が働きその場から離れさせようとします。
身体の不調が起こり、身体が意思に反して失敗するために動いてしまうなど、どんどん能力が低下していきその場で頑張ることが出来ないように自分で自分を追い込んで行ってしまいます。
程度はあれど、人間はみな同じだと思います。
『同じ人間なんだから人一倍努力すれば何だって可能』という考えは、『努力=労働時間と忍耐』と解釈した場合に間違っています。
自由は無限の可能性を引き出す
運動が苦手だった自分が一瞬でもスポーツを『気持ち良い』と感じた体験は貴重でした。
全てが自由自在で万能感があり、何をやっても上手くいく感覚は気持ち良い以外ありません。
逆に、気持ちが良い状態であれば能力は高まり、集中して努力するから向上し、頑張れば頑張った分だけ報われるようになります。
それこそ『運動が苦手』な人が『運動が得意』な人を凌駕する可能性だって出てくるのです。
自由な意思で取り組み、外的な干渉を受けず思った事を思うように試し、上手くいったら継続して洗練し、上手くいかなければ客観的に考察する。
1人で考えるのも良いけど、みんなで知恵を出し合うのも良い。とにかく上手くいく方法を考え、改善し続ける。
そんな状態の時、努力や頑張りという言葉ではなく『自由自在』という言葉の方があっている気がする。
自由自在であれば高集中状態をキープしたまま人一倍の努力が可能となる。
努力を履き違え、運動、音楽、数学、美術、様々な分野で数々の失敗を繰り返し、その度に身体を壊してきた。その先に悟ったのが『自由自在』
毎日『それは自由なのか?』という問いを常に自分に投げかけているsweet☆home!
それでは次回もお楽しみに〜╰(*´︶`*)╯♡
