こんにちは。夫の秋鐘です(o^^o)ノ🔔
今日は通勤電車に揺られながら、ふと「人生ってなんだろうな〜」という考えが頭をよぎったので、自分が考えている人生観や子育て観について書いてみようと思います。
忘却について
息子が0歳から何となくおうち英語を始めましたが、当時はよくこんな論調を見かけました。
幼児期に英語を覚えても小学校で全部忘れて中学で0からやり直すことになる。プライドが邪魔をして授業にもついていけず落ちこぼれる。幼児期の英語教育は害悪。
最近はほとんど見かけなくなったこの論調ですが、的を得ているとは思っていました。
英語に限らず、使わなければ忘れるのが人間です。有限のメモリを使いもしない記憶に無限に割いていたらあっという間に上限がきて単に頭が悪いだけの人になってしまいそうです。
脳内が最適化された結果で忘れてしまうなら、それは前向きに受け入れた方が建設的では無いでしょうか?
逆に言えば、使っている知識は忘れないわけです。
学業について
では、『どうせ忘れることをわざわざ覚える必要は無い』という論は正しいでしょうか?
もしそれが正しいなら学校に行く必要なんか最初から無いということを肯定してしまいますし、大学受験なんか人生で最も無駄な時間の使い方だという結論が出てしまいます。
正直自分は学校に行く必要なんか無いと考えています。少なくともテストで優劣を付ける意味がわかりません。
ただ単に先生や仲間と歴史についてお喋りをしたり、図鑑を見たり、計算クイズを解いたり、楽器で遊んだり、たまには体を動かしてみたりして楽しく過ごすだけで十分じゃないですか?
テストが無いなら宿題も要らないし、浮いた時間で好きな事に熱中してれば人生が豊かだと思うのです。
だって学校で教わったことなんてどうせ忘れるし、生きて行く上で必要なことは必要になった時に『覚え直す』でしょ?
授業が分からずボケ〜っと時間が過ぎるのを待つだけのような時間の使い方は最も悲惨だと思います。
仕事について
高学歴のプライドは本当に厄介だなと思います。
社会に出たらそんな学歴なんか全く意味を成さない現実が待っているけれど、その現実は『これまでの人生を全て否定される』受け入れがたいものです。
研究者、教育者、政治家など学歴が凄くないとそもそも話を聞いてもらえないという職業では必要かもしれないけれど、一般的な仕事をする中で学歴が社内評価に繋がるケースは少ないはずです。
学歴社会においては、面接で学歴が重視されるのに入社後は学歴が関係無くなるという矛盾が起こります。
どこに重きを置くかという話です。
自分ならこう考えます。
面接で選んでもらうためだけに死ぬほど努力するなんて虚しい。個性や才能を目覚めさせることに努力して、自力で生活して趣味や興味に没頭できる人生が良い。
どんな環境でも人は成長できるし幸せは見つけられる。幸せ探しが上手でグングン成長していけるなら自然と環境も変わっていく。
まとめ
人は忘れる生き物なのに、どうして忘れないように努力する必要があるのだろう?
好きなことや楽しいことに没頭してるといくら時間があっても足りなくなるのは何故だろう?
小学生の頃、誰しも疑問に思ったことではありませんか?
自分はこう考えます。
『大人が自分の貴重な時間を割いて考えたり悩んだりすることを放棄し、ハズレを引いた時に怒られないための言い訳が欲しかった』そんな呆れた思想から生まれたのが学歴社会。
そんな無責任極まる学歴社会文化に付き合う必要は無いし、子供を巻き込まないように気を付けなければならないと考えています。
子供には、自分の責任で自分の目と耳と心でしっかり真偽を見定められる大人に育って欲しいと願っています。
以上、通勤電車に揺られながらボケ〜っと考えた人生観と子育て観でした。
毎日息子の幸せを願い続けるSweet⭐︎Home!
それでは次回もお楽しみに〜╰(*´︶`*)╯♡